ものすごく手を抜いてしまった感覚

今日はなんかものすごく仕事で手を抜いてしまった感覚

それでも別に問題はなさそう

それぐらい今やっていることがあまり求められていないってことなのかもしれない

いやもっと丁寧にとか、読みやすくとか、整理しろとか

きっとやろうと思えば、やることはたくさんあるんだろう

でも、それって本当にやるべきことなのかって疑うよね

本当に知りたいこと、求められている部分ってごく少数よね

最低限わかればそれでいいんじゃないかな

むしろ情報がたくさんあっても困るし、混乱を生み出しかねない

怒られるまでとりあえずこれでいいや

将来良いキャリアのために気を張ってたけど

今頑張っても続かない

大事なところで頑張れるように休んどこ

今は勝負どころじゃない

うーーん、またかーー

何だかな

まただよ

なんで働いているのだろうな

別に働かずに遊んでいたいと思っているわけでもない

完全に働く意味を見失っているね

社会をより良くしたいとかお金を稼いでビックになりたいとか

ないんだよね

せめてさ、仕事は趣味のためのお金稼ぎとか思えればさ頑張れるんだろうさ

でもないからねそういうの

休みを楽しみに働くわけでも、仕事を生き甲斐に平日を生きているわけでもない

じゃあ何を思って働けばいいのだろうかね

学生時代、たくさんのアルバイトをした

この世には色々な仕事があることを知っている

もちろん全ての仕事を経験することは無理だ

というか、そんな必要はないだろう

どんな仕事も表面と裏がある

仕事の良い部分だけがみんなが知っていること

キッ〇〇アとかがまさにそう、仕事の良い部分だけを体験できる素晴らしい場所だ

でも本当は違う、みんなが仕事を好きにやっているような社会じゃない

それは最初からだったのだろうか?

少なくとも自分はそうではなかった

せっかく入れた会社、望んだ職種、金銭的に不自由のない生活、密かな野望

ここで自分は何かを成し遂げる、そう思っていた

でも何かが崩れた

急にだったのだろうか、いや違う、小さく小さくどんどんどんどん削れていたのかもしれない気持ちが

それが今、心的ストレスとして押し寄せてきただけなのだろう

このまま自分は持つのだろうか、いや持たないだろうね

でも終わらない、死ぬまで終わらないよこの堂々巡り

昨日銭湯で見たタイムショック

都営住宅に安い賃料で住めるとのことでそこに住む年金暮らしの老夫婦のインタビュー

彼らはいう、少ない年金で安い家賃を払うのすら精一杯

娯楽に捻出するお金もない、だから早くお迎えが来てほしい

日本もスイスにあるように安楽死制度をそろそろ取り入れても良いのではないだろうか

おそらく死にたいと思っている人は多くいる、思っているよりもたくさん

年齢に関わらず

そう思っている人達が楽しく過ごせる社会をつくればいい?

ごめんなさい、私はそこまでしたいと思わない、望んでいないんだ、自分自身がね

今日も愚痴を呟いて少し楽になる

さあて、私はあと何年生きられるのだろうかね

 

 

 

 

疲れていたということを認めざるを得ない

昨日は久しぶりに家から出ない生活をした

平日は仕事で外出

休みは予定を作ったり外でやることを決めて外出

今思えば無理やり外出してたんだなと思った

時間を無駄にしたくないっていう思いから生産性を意識して生きてしまっていたことに気づいた

アホくさいねそりゃ疲れるわ

一日中家にいたら暇じゃんとか思ってたけどその通り

でもそれでいい

暇だと人は行動する

その行動は人それぞれだと思う

自分の場合はドラマを見たりゲームをしたりyoutubeを見たりした、あとはいつもより少し長く布団にいた

よく休みの日何してる?って質問で一日中寝ているって言う人がいて、正直軽蔑してたけどそれも大事だと思った

休みの日に体と心に正直に生きないとメンタルをやるってことがわかった

自分の思う悪いメンタルは余計なことを考え始めること

死にたい、何のために生きるとか考え始めたら疲れていることに気づこう

疲れ方にはいい疲れ方と悪い疲れ方がある

ラソンとかスポーツで体力を使って疲れる

これは身体的疲労だから寝たり飯食ったりで回復できる

心的ストレスの回復は人それぞれ、でも時間がかかるからそもそもストレスを抱えないようにしなきゃ行けない

好きなことや夢なんか無理やり見つけなくていい

嫌なことを知り、そこから逃げろ、ひたすら逃げろ

そうすれば死にたいと思わずに生きられるだろう、それだけで生きることが楽になりそうだ

そういや、こないだ見たドラマが言っていた

夢って仕事じゃなくてもいいのか

真面目に生きてしまっているからこそ、そもそもの前提を知らない間に作り込んでしまっているかもしれない

無意識ってのは怖いものだ

じゃあここで聞いてみよう、自分よ、夢はなんだ

面白い人になりたいかな

そういえば昔からそう思っていたかもしれない

人を笑わせるのが好きだ

世界中を笑わせたいなんて思っていない

自分に興味を持ってくれた限られた範囲でいい

あいつは変だった、でも面白かった

そう思ってもらえればそれでいいような気がしてきた

じゃああとは手段だ、それは生きながら考えてみよう

おっと余計なことを考えては行けないから、笑かす時がきたら脊髄で行動しよう

よしそれでいい

 

 

夢、目標がない

何だかだいぶ心が軽い今日

死にたいとこの瞬間は思っていない

でも活力もない

雨予報だったが、今日は運良く曇り

最初から雨が降っていないとわかっていればバイクでどこかに行けたのに

そんな天気に対して恨みをつぶやく

そもそもバイクに乗りたいと思って乗っているのかもわからない

ただ天気が良くて、何も予定がなければバイクに乗る

機械的に生きていますね

何だか悲しいね

前の自分はあれをやりたいこれをやりたいって気持ちがすぐに湧いてきて

その気持ちに従って行動をしてきた

今はなんかそう言うのがない

惰性で生きていてるかんじ、楽しくないね

どうしようもない、助けて欲しいね

2日目

悲しいね

いつも朝や夜だけだったのに

今日は昼から死にたいと思っていた

別にめっちゃ嫌なことがあったわけじゃない

このまま老いて死ぬまで惰性で生きていけるのだろうか

無理じゃね普通に

楽しいことって何だろうな

わからんな

わからないから次の一歩が踏み出せない

ダーツもやったし、カラオケもやったし、ゴルフもバイクもバスケも野球も音楽もやった

やることやってるのに何故か満ち足りない

きっと心がもう死んでいる

お笑いやドラマの笑えるシーンは普通に笑う

面白いできごとにはちゃんと反応する

でもそれはその時の一瞬

毎日が楽しい感覚がない

確かにあったあの感覚

毎日明日が楽しみだったり気が楽だったり

またそんな毎日が来ないだろうか

今はきっと心的にどん底の時期なんだろう

耐えられるかな〜自分

とりあえずこれ書きながらお笑いを見てたら気が楽になったからお笑いを大事にしばらく過ごしてみようかな

 

 

 

かなしいうれしくない

自分は贅沢な人間だ

一浪したものの、新卒でJTCに入社し残業も少なく、同期と飲みに行ったりなど平和に過ごせている

しかしだ、何のために生きているのかわからなくなる

思い返せば、高校時代も同じような気持ちになった

勉強よりも部活に力を入れていた自分は中学の部活を引退してから受験勉強に全力を注いだ

その結果、本来では入れなかったレベルの偏差値の高校に合格することができた

周りは驚き、褒めてくれる人もいた

その頃は良かった、入学後は部活動をやりながらもほどほどに勉強にもついていけたため中の上程度の成績でいられた

しかし、部活を引退してから勉強を頑張った自分には持続力がなかった

それに何のために大学に行くのかを真剣に考えてしまい勉強する意味を見出せず、勉強から次第に離れていくようになった

その結果、頑張って維持していた成績はみるみる落ちていった

だが、後悔はない

あの頃頑張ったおかげで今の贅沢な自分がいることを感じているからだ

しかしそれも恨めしい、今の自分はあの頃に戻ってしまっているからだ

何のために働くのか、何のために生きるのかに答えを求めている自分がいる

残念ながら今の仕事にやりがいを感じていない、最初からなかったわけではないどんどんどんどんなくなっていった

年明けから毎日続けていた資格の勉強も同期との飲みの幹事もやらなくなった、やりたいと思えなくなった

転職?やりたいことがわからない

こんなんじゃ転職先を探したって受かるような面接はできないさ

というか、今の会社に不満はない、強いて言えば今の職場に不満はあるだろう

忙しくて不満を吐露する同期の話を聞くと羨ましく感じる

自分はこんなにも暇なのに、変わってあげたいと

 

高校時代もそうだった

結局この負の感情から抜け出すには環境が変わるまで無理なのだ

高校を卒業し、一浪し大学に行ってからは今までにない刺激がたくさんあり充実した日々を過ごしていた

今は毎日同じ繰り返し、新しい発見を求めて行動するも何か物足りない

ああ何で生きているのか本当にわからなくなる、あの頃もそう言えば調べていた「安楽死」について

今もふと思う、死ねるのなら死にたいと

でも浪人時代に本当に死んでしまおうと行動した結果、自分は自ら命を断つことができない小心者だということを思い知った

それを知っているから、ただただ今は死にたいと思うだけで何もしない

正確に言えば何もできないのだ、死ねれば楽だよな本当そう思う

大学時代はそんなこと思わなかったのに高校時代にまた戻ってしまった自分

早く今の環境から抜けないとどうなってしまうのか少し怖い

といっても、今の環境から変わったとてプラスの場所に移動できる保証はない、むしろ悪くなるかもね

社会人になって色々な趣味に手を出したけどどれもイマイチ

絶対これだみたいなものが見つからないよね

そんなこんだで中学時代に手を出したブログに戻ってきてみた

最近頭の中を巡っていたものをここに吐き出してみた

今は少し気が楽になった

 

また、心が苦しくなったらここに戻ってこよう

そう思える場所ができただけで少し気が楽になったかもしれない

誰が読もうが読まなかろうがそんなことはどうでもいい

 

ああやっぱりこんなことを考えているから将来子どもが欲しいとは思えない

生まれてきた子はいつか自分と同じことを考え苦しむことになるのだろう

たとえ苦しいことがあっても楽しいこともあるとか言うだろ

かなしいうれしい

その考えもわかるけど自分はそれなら最初から生まれなきゃ良かったとも思う

辛いことの方が鮮明に頭に残るからね

彼女がいたときはそんなこと全く思わなかったのにね、母親ごめんねこないだ帰省した時に生まれてこなければ辛い思いなどしなくて済むから、将来子どもなんか産みたくないなんて言ってね

じゃあ、産んだ子どもを責任もって自分の手で幸せにしてやれって?

あなたも生きてきて感じたでしょ

生きるって運だよ

環境や周りの人に恵まれるかどうかは運

どんなに恵まれた家庭に生まれても、人のことをいじめたり逆にいじめられたり、外部の力には勝てない、いつ過ちを犯すか人生はわからない

いつこの人痴漢ですとか言われて冤罪かけられて冷たい視線を浴びながら暮らすことになるかわからない

いつまで大事な人と一緒にいられるかわからない、いきなり会えなくなることもあるだろう

ああここまで書いてよくわかった

早く自分はこの環境から抜け出さなくてはいけない

抜けるタイミングはある

しかし、そのタイミングまでこの心が持つだろうか

久しぶりに書いたブログは短時間でかなりの文字数となった

ああ楽しかった、仕事では文章に関してああだこうだ言われるけど、あんたの指導通り書いてたからああなったんだろ、むしろわかりにくい文章になったんだけど自覚あるのかな〜別にいいけど

きっとブログ書くのもそのうち飽きるだろう、それはそれでいいと思う

個人を特定されない程度に自分の思ったことを書きたくなったらまた書きにこよう

2000字超えたからここまで